

資料提供:大阪府立中之島図書館
江戸時代、このあたりには、難波御蔵(なんばおくら)とよばれた幕府の米蔵がありました。享保18年(1733)につくられたもので、寛政3年(1791)には、今の日本橋3丁目にあった天王寺御蔵(高津御蔵)を合併しました。白い塀と松並木で囲まれた、約43,000平方メートルという広大な敷地には、十数棟の建物が建ち並んでいました。その中には、3間×20間(約200平方メートル)という大きな蔵もあったといいます。
難波御蔵に米を運搬するために、難波御蔵と道頓堀の間に掘られた水路が難波新川(なんばしんかわ)です。幅は15メートル、全長は852メートルありました。
明治になって難波御蔵は廃止され、その跡は煙草工場となりました。難波新川も昭和33年(1958)頃から埋め立てられ、姿を消しました。
その歴史を今に伝える「難波御蔵・難波新川(なんばおくら・なんばしんかわ)」跡碑が、なんばCITYにあります。
時代を経て、米蔵は大阪球場へ、そしてなんばCITY・なんばパークスへと姿を変えています。
こうした地域が培ったたいせつな心を反映して、「なんばこめじるし」は誕生しました。